かつて江戸期、私の高祖父・山田新七は、生野銀山で働く鉱山労働者相手のよろず屋を開きました。やがて商売で稼いだ利益を元手に、数人の持ち株制度で現在の多可町に鉱山を買うと、産出した銅によって大きな富を手にします。次に和歌山県日高町でも鉱山を買った新七は、かの地に通ううち、紀ノ川で杉やヒノキなど高級建築材用の丸太が、いかだで運ばれている光景を目にします。当時、地元但馬の山林にはほぼ広葉樹しかなく、これらの木は炭焼きをほどこし、燃料として活用されていました。しかし、銅の精錬は大量の燃料を必要としたため、多くの山は禿げ山と化していました。そんな中、新七は、より高い価値を生む針葉樹を地元に植えようと思いついたのです。 明治5年、新七が苗木を買い植林したという記録が今も弊社に残っていますが、弊社の山林に現存する最古の杉やヒノキは、この頃に植えられたものです。これらの木々が、150年もの樹齢を重ねることができたのは、ひとえに高祖父や曽祖父、祖父、父たちが長い年月をかけて模索しながら、但馬の気候風土に合った育成を追求してきたからにほかなりません。私の使命は、先人たちの贈りものである山林の資源を、地域で活用するサイクルを再構築すること。それと同時に、林業というかけがえのない仕事の価値を発信していくことです。 戦後の日本は、驚異的な経済成長を果たした一方で、目先の利益や便利さにとらわれ、「木を見て森を見ない」のたとえのごとく、山林の大切さを見失ってきたように思います。林業は、漁業や農業に比べて、育てて収穫するまでの期間が気の遠くなるほど長い仕事です。でもだからこそ、現代人の多くが忘れてしまった「100年先を考える」というモノサシを、山々は思い出させてくれるのです。林業は国土を保全し、豊かな資源を次世代に残していく仕事。私たちはその誇りを胸に、たゆまぬ努力を続けていきます。 山田林業代表取締役 山田尚弘
1968 年生まれ。大学卒業後、東京での企業勤務を経て兵庫県にU ターン。生野町森林組合にて技術研修を受け、1995 年より山田林業5 代目として施業を開始。1996 年より約7 年にわたって大阪府指導林家・大橋慶三郎氏やその門下生のもと、安全で効率の高い山林管理に欠かせない作業路づくりの技術を学ぶ。2010 年に法人化。山林の戦略的な複合経営を通じ、持続可能な「なりわい」としての林業を確立すべく活動の幅を広げている。趣味はランニング・サイクリング。